No.9(北からの電話)



お盆まであと3週間たらず。そんな頃だった。数年前に札幌に転勤
になった友人のMから電話がかかった。お盆休み北海道で釣りをし
ないかと言う誘いの電話だった。ついては、航空券を送ると言う。
わたしは、北海道は初めてで、少し戸惑いがあったが彼の好意を受
けることにした。

羽田から千歳へ、千歳空港からバスで札幌へ。

Mとは、札幌の大通り公園で待ち合わせた。5分ほどでスーツ姿の
彼が現われる。「仕事であと1時間ほどかかるんだ」と言う。丁度ノ
ドも乾いたし、近くのビアホールで待つことにした。ビヤホールは
まだ、午後の3時を過ぎたばかりだが、ほどほどに混んでいる。椅
子に座り生ビールと薄切りの生ハムを注文する。のんびりした気分
で大通り公園を行き交う人々を眺めながら時をやり過ごす。

1時間ほどで、再度、彼が現れ、そのまますぐに彼の家へ行うとい
う。相変わらずせっかちだ。東京に居た頃と変わってはいない。電
車に乗り真駒内駅で降り10分ほど歩くと、彼の家のドアの前だ。
玄関に入ると細君の「お帰りなさい。」と言う声がキッチンから聞
こえ、スリッパのすれる音がして顔をのぞかせ、「いらっしゃい。
元気だった?」笑顔で迎えてくれた。3 年ぶりの再会になる。一緒
に長男の航くんが、はに噛むように出てくる。彼はここで生まれた
ので,私とは初対面だ。途中で買ったお土産の釣りゲームを渡すと嬉
しそうに包みを解きだし、さっそく始めたようだ。

「おい、先に風呂にはいれよ。」と言うMの言葉に私は遠慮なく
「あぁー」と答えて風呂場に向かった。シャツを脱ごうとすると細
君が私を呼ぶ「航がおじちゃんと入りたいんだって。」「いいよ。」
と私は応じた。その当時、私には、まだ子どもが居なかったので少
し楽しみでもあった。膝に乗せながら湯舟につかる。私にも子ども
が居れば毎日こういう風に風呂に入ることになるのだろうか?そう
思うとなんとなく面映い感じがした。

昨夜の打ち合わせどうり午前3時に起き出す。着替えを済ませ彼の
駐車場に行く。さすが北海道、8月と言うのに涼しというより肌寒
さを感じ早々に車に乗り込む。彼はさすがに慣れている半袖姿だ。

何も解らない北海道の釣り。彼にすべて任せ助手席にすわる。彼の
説明で取りあえずはニセコ方面に向かうと言うことは理解出来た。

ニセコを過ぎ黒松内。そうして長万部に着く、ここにあるのが目的
の川らしい。小さな川だが護岸工事の跡も無く、両岸は葦で覆われ
ている。下流を見ると海が見える。北海道の川の面白い所は吃水域
の少し上流からもう渓流魚が釣れだすと言うところだ。

川原を歩きながら二人で交互に釣り上がってゆく。釣れるのはすべ
て山女魚でサイズは20cmに満たなが、それでもたのしく3時間ほ
ど釣り続けた。昼近くになり車にもどり昼食にすることにした。M
の細君が作ってくれた弁当とお茶を持つて川ぷちに行き石に腰掛け
る。彼女には良く弁当を作って貰うが、期待を裏切られたことが一
度もない。彼女の弁当は、もう一つのMとの釣りの楽しみでもある。

おにぎりを頬張りながらMが「オショロコマって知ってるか?」
「あぁ、図鑑では・・・・・」
「そうか、じゃーオショロコマを釣りに行く?」
「あまり大きのは出ないよ」
「おぅ、行こう、行こう」

私は、一も、二も無く同意した。北海道以北、アラスカまで生息し
ているオショロコマ(ドリー バーデン)を見てみたかったから。
川の名前は真狩村の「真狩川」だと言う。この当時は、真狩村出身
の演歌歌手の細川隆がまだデビュー前だったし「真狩」と言う地名
は、この時初めて聞いた。たぶん「オショロコマ」も「真狩」もア
イヌ語なんだろう。

食事が終わってから真狩村の真狩川に・・・・・・・

着いてみると小さな村で民家がぱらぱらと散在している。車を降り
木製の橋の上から川を覗き込むと『ジン』か『ウオッカ』のような、
びっくりするほど透明な水が流れており、白い砂地の川底には緑の
梅花藻がゆらいでいる。しばし、無言で見愡れてしまった。そんな
私に、Mが「この少し上流に水源地があるんだょ」と教えてくれた。

再び、車に乗り込み丘陵地に入って行く。10分ほど走り牧場の脇
から川縁に出て車を止める。Mは自分は下流に下がるからと水源地
までのベストポイントを譲ってくれた。その場で上下に別れ、私は
砂の土手を滑り降り川に立ち入った。数歩上流に歩き、リールから
ラインを引き出しながら流れに眼をやる。

近くで見る梅花藻は、その懐に小さな花を数多く蓄えている。花を
手ですくってみるとそれは白い五弁の花びらを持っており、中央は
鮮やかな黄色みを帯びている。透明で冷たい水の中から小さな花の
可憐さが伝わって来る。

藻を水に戻し、藻と藻の切れ目にフライを流す。40センチほど流
れたあたりで藻の影から「スー」と黒い影が現われフライに向かっ
て行った。そうして、ゆっくりした動作でフライを呑み反転して藻
の中へ帰って行く。竿をゆっくり上げると黒い影の抵抗が伝わって
来た。空中に抜き上げて手に取ろうとした瞬間、全身に悪寒が走る。
それは、真っ赤な腹をした「イモリだ!!!」私は思わず取り込も
うとした手を引き、竿を下げ再びイモリを水中に戻した。それから
ゆっくり竿を引き、近付けてみると動きは魚のそれである。水中に
手をいれ恐る恐るすくってみると間違い無く真っ赤な腹をした魚だ
った。「これがオショロコマか!」私が生まれて初めて対面した北
のオショロコマだ。イモリの腹部の赤さを持つ不思議な魚に思えた。

それからは面白さを通りこすほど釣れたが、西の丘陵が金赤色に染
まる時刻になっても釣ることを止めることが出来なかった。

暗さがより深くなる頃、最上流部の行き止まりまで来てしまった。
空の色が藍色に変わりそれを受け川面も同じ藍色に染まる。

大きく息を吐出し、宵が背から忍び寄るのを感じながら、水面に顔
を近ずけ川底を透かして見ると砂がわずかに白く舞いあがり、梅花
藻を揺らしているのが見える。「沸き水がある。これが水源地なの
だろう」ここで終わりかと思うと、疲労感がしみるように背中から
降りて来る。

空に上弦の月が登り、その姿を川面に映し私の少し前方で「ゆらゆ
ら」ゆれている。

「そろそろ上がろうか?」一足先にあがったMが土手の上から声を
かけて来た。私は、大蕗の茎につかまり土手を上がる。

疲れか?、今日の釣りの残像を振り返っているのか? 二人とも無
口なまま、大蕗の闇の中へ消えて行った。



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