No.6(忍び来る秋)
大岩の上に立ち、ネオプレーンのウエダーの胸ポケットに手を入
れながら頂を見上げる。稜線から谷に向かって風が吹き降りた。
秋の香りを含んだ風は、私の頬をかすめながら抜けていった。甘
い曇り空は少しずつ色を濃くしはじめる。
夕方は、魚が騒ぎ始めて欲しいと思いながら、おもむろにベスト
と竿を取り上げ、釣りをするために私は川を登り始めた。
30分ほど歩くと大石が点在する岩場にたどり着く、少し息が上
がったので石に腰掛け、良さそうなポイントを探してみる。ライ
ズは無いが、毛ばりを流せば多分岩魚が出るであろう所が2つ、
3つある。高ぶる気分を押さえる為にわざと新しい毛ばりに取り
替えることにした。最近、朝マズメを釣ることはほとんど無くな
ってしまった。夕マズメの方が体が楽なのでついついそうなって
しまった。
ここ数年、めっきり眼が悪くなり毛ばりの交換には老眼を使用す
るようになってしま した。夕暮れ時の毛ばりの交換は老を突き付
けられるようで、一抹の寂しさをどうしても感じさせられてしま
う。
膝を手で押さえながら立ち上がり上流に進む、白鉛色の空に毛ば
りを浮遊させ水面に”さいころ”を転がすように落とす。その動
作をくり返しながら徐々に上がって行く。「あそこだ」先きほど見ていた所は。1投,2投,3投とくり返し投げ返す。
よれた水の中から白い腹を私に見せるようにして出た。その岩魚
は強く竿を押さえ込んだまま流れの階段を一段おりて行った。そ
れに従うように私も上体を回転させながら竿を頭上にかざす。岩
魚は川底から沸き上がる白泡に逆行しながら潜りはじめる。竿に
かかるテンションは倍増した。遊ばせているのか、遊ばれている
のか定かでない時間が過ぎる。
それでも、やがて流れ出しの砂地に寄せられた。毛ばりを持ち魚
を横にすると30cmを1、2cm越えた雌の岩魚だった。水中で
そのまま毛ばりを口中に押しこむようにしてはずすと尾ビレでS
字を描きながら、再び白泡の中に揺らぐように消えて行った。
気が着くと夕暮れの中、群生した熊笹の方から「ポッ、ポッ」と
いう音が聞こえてくる。雨になったようだがかまわず釣り上がる
ことにする。
2、3匹釣り、堰堤の下の大きなプールまで来る。暗い雨空にか
すかに残った明かりが、川面を三筋に分け流れている。ここが今
日の釣りの最終地点になる。右側に立っている私は、最初に一番
右側の泡の切れ目に毛ばりを流す。次に、泡と泡の間を流す、3
投か4投目、かなり遠くで飛まつが上がったように見えた。
竿をゆっくり頭上にあげると竿はみるみる満月のように曲がって
いった。上流にグイグイのぼっていく。左に走り、下流に下がり,
夕闇のプールでファイトが始まった。
しかし、魚の力が竿のそれを上回っていたようだ。とうとう中央
の大きな底石にへばりつかれてしまった。引いてもゆるめても反
応がない。
暗さに押されながら意を決して引く。徐々に竿を上げて行くとグ
ッグッと2度ほど頭を振ったような感じがして次に竿先の力が抜
けて行った。
同時に私の身体の力も抜けていった。
チペットが切れたようだ。
強引さに結果は想像はしていたのだが・・・・・・・・
「そろそろ引き上げよう」
暗いプールの浅瀬を左側に渡り急な斜面を登り、道にでる。
「寒い」つい口にでてしまった。雨は降る。
濡れながら、カラ松と熊笹におわれた小さな林道を下りて行く。
東北の秋の早さを感じる。途中で見つけた”朴葉”を4、5枚も
ぎ取ってベストの背中に入れる。この”朴葉”で肉類などを包み
炭火で焼くと安い肉が上物に変身するので、私は釣りの途中で見
つけると、時々何枚か持って帰るようにしている。
30分ほど歩くと、から松の間から対岸の小さなキャンプ場の灯
りが見える。私の小さなテントもかすかに見える。今夜は雨のキ
ャンプになる。雨は音をたてながら熊笹を濡らしている。
サイトに戻った私は、体が冷えたので村の温泉に行く。
300円を払い、花色ののれんをくぐり湯殿に入って行くと誰も
居ない。体に湯をかけ湯舟につかると冷えた手足の指がジ−ンと
しびれる感じがする。ほどよく温まったところで立ち上がり奥に
ある引き戸を開けて、露天風呂のほうへ入って行くと暗闇の中か
ら川の水音と雨音が入り交じって聞こえてくる。ゆれる湯に身体
をまかせ縁においたタオルを枕に夜空を仰ぐと、そのまま、闇の
中に溶けそうになる。
帰り道、1台も車に遇うこともなくテントに9時頃に着いた。外
気は低いが身体は温泉のせいだろう、まだ少し汗ばんでいる。ク
ーラーからビールを取り出し一口飲む。ここでどうして「はぁー」
の一言が出てしまう。
吐く息は白く闇に消えて行く。夜は初冬の感がある。寒くなりそ
うな予感がしたので、ひし形のターフは風が通り抜けない様に左
右を低く張りなおした。三角のトンネルになったその中で豚シャ
ブの準備にかかる。この料理は大型のコッヘルでお湯が沸かせば
出来たも同前、スライスの豚肉、ねぎ、エノキ、豆腐などをポン
酢で食べる。それにプラス、レタス。レタスはあまり火を通さず
シャリっと歯ごたえをのこしたほうがおいしい。薬味は一味と万
能ねぎがいい。
コッヘルからは白い湯気が立ちのぼる。いつのまにか冷たいビー
ルはお湯割りの焼酎にかわり、酔いも回って来た。
そのあたりでテントの中のフリースにもぐり込む。フライシートを
うつ 雨音を聞きながら私は落ちて行くように一気に眠りについた。
「明日も、雨は残るのだろうか」・・・・・・・