No.4(正丸峠の春)

辛夷(コブシ)の花が咲き、白蓮(白木蓮)の花が咲く。
梅が咲き、桜が咲く。
花びらが、一ひら、二ひら舞う。 春は今が盛 り。
そんな時、中島君から「釣りに行きませんか?」と電話がある。
彼は、先週、妻君のお許しが出て世田谷のショップで待望のフラ
イ用具を一式購入したばかりだ。早く釣りに行きたいと言うのが
胸の内。そんなことで話しは一も二も無くまとまった。ゆっくり、
のんびり釣りたいと、行く先は魚も少ないが人も少ない正丸峠の
横瀬川にする。

深夜、1時、中島君が車で迎えに来る。窓から顔を出しニコニコ
しながらタバコをふかしているが気持ちはもう横瀬川にあるのだ
ろう。窓にかけられた、彼の短い指の間から流れる紫煙はゆっく
りと闇に消えて行く。「さて、行ってみるか!」

途中、コンビニで昼食のおにぎりと飲み物を買い、夜食がわりに
おでんを2人で食べる。ここのおでんは薄口の関西風でなかなか
いける。これは深夜、釣りに行く時によくお世話になっている。

川越を過ぎ、高麗川沿いに峠をのぼる。こんな時間なのにダンプ
が多い。秩父にあるセメント工場のせいだろう。

正丸のトンネルを抜け横瀬川に架かる橋を渡り、鋭角にUターン
して橋の下に車を止める。早々にトランクからウェダ−を出し着
替え無口になって竿にリールをセット、ラインをガイドに・・・
いつものように小さな興奮をおぼえる。

「よし、いこう!」

小径になった踏み跡に沿って歩いて行くと浅緑の新芽と若葉に囲
まれるようにして川が現われる。大きい川ではないが水はすこぶ
るきれいで底石の輪廓までハッキリと見える。対岸には楓が張り
出し周りは杉苔で被われている。水ぎわは軽くえぐれ赤い地肌を
さらす。水深は50cmほど。中島君に「やってみれば。」と水を
向けると小声で「お先にいいですか?」と水面を見ながら答え、
真新しい竿で#16サイズのロイヤルコーチマン風を投げる。彼は
管理釣り場は何度か経験をしているが、自然の川では初めてのキ
ャスティングになる。

毛ばりが水面に落ち流れて行く。数秒間の沈黙。「ジャバ!」出
た。1投め。私も、彼も驚いてしまった。いや、彼のほうがより
驚いたに違いない。竿は大きく上げられヤマメは水中から勢い良
く飛び出して来た。しかしラインにたるみが出来、再び彼の足も
と近くの水中に落ちてしまった。私は一瞬、逃げられたと思った、
がそうではなかった。ラインをたぐる彼の顔が困惑の表情から徐
々にほほえみに変わってゆき、「ウオー−」と奇声をあげ、かが
みこんだ。その彼の手のひらには、パーマークのある15cmの
”正丸峠の春”が跳ねている。

いい一日の始まりだ。そんな予感を持ちながら暖かく春の風がそ
よぐ川辺を二人で釣り上がって行った。こんな気持ちで釣りの出
来る日は年にそう何度もない。

5時間ほど釣り上がったあたりで、中島君は疲れたので少し休む
から先に行ってくれと言うことなので気をつかわずに一人で釣り
上がた。

それから一時間ほど釣り上がっただろうか、別荘地に出た。小さ
な別荘が3荘あるが今日は誰も居ないようだ。そこを過ぎ堰堤を
よじ登ると10mほど先に大きな石が2個、川の中央に相撲取り
が2人で顔を突き合わせ将棋でも指しているような形である。ち
ょうどその将棋盤の位置にあたるあたりが青く深く、いいポイン
トになっている。万が一のことを想定してチペットとフライを交
換しようとソ−ッと 膝をおりかがみこんだ。比較的小さめのフラ
イに付け変えて、ふと顔をあげると左岸から張り出した柳の枯れ
枝にカワセミが一羽とまっている。コバルトブルーの体色のきれ
いさに目を奪われ見入っていると、急に斜め下45度に飛び出し、
ポイントの将棋盤に突き刺さってしまた。何とゆうことだ。今日
一番のポイントのはずが。次の瞬間、カワセミは何もなかったよ
うにもとの枯れ枝に小さなヤマメをくわえて止まっている。少し
間をおいてからカワセミはヤマメの頭をとまっている枯れ枝に2
度、3度と叩きつけ天を仰ぎのどの奥に流し込んでしまった。
カワセミが捕らえたあの小さなヤマメの下にはもっといい形のヤ
マメがゆらいで居たのかも知れないがもうダメだろう。でも念の
ためキャ
ストしてみようかとも思ったが、その気持ちがいじましく思え止
めて
しまった。「ああ。今日の釣りはこれで終わりだ。」

カワセミが柳の枯れ枝から飛び去った。ポイントを先取りされた
のは残念であったが、去って行くカワセミを恨む気にはならなか
った。

私は、下流にいる中島君の所に戻ることにした。

青く晴れた空の下、 河原を下流に歩いて行くと、先に彼が私に気
付き、おにぎりをほうばりながら手を振り「お先に!」と 昼食を
始め
ていた。彼はなぜか陽気である。ふだんはそうでも無いのだが?
「あの一匹のヤマメのなせる技か。」私は心の中でそう思いなが
ら彼の横に座りベストを脱ぎ、おにぎりを取り出した。

昼食後、彼は初めての渓流釣りに疲れたようだ。なので帰ること
になったが帰りの車中も彼の陽気さは、まだまだ十分残っていた。


中島邸に帰り着く。玄関に車を止めると幼稚園の年長組の朋ちゃ
んと弟のふっちゃんが庭で遊んでいる。妻君が出て来て「お帰り」
「釣れた?」多少、疑りぶかげに聞いて来た。中島君は「釣れた。
釣れたよ。」と答えると、「本当?」妻君。たじろぐ感じ「ねェ。
釣れましたよねェ。」と私に同意を求めて来た。「本当だよ。ビ
ギナーズなんとかとゆうやつだよ。釣れたよ。」「大したもんだ
よ。」と答えると、彼女も納得したようだ。中島君は少し得意げ
だ。子ども達も「お父さん釣れたの。」「すごい」「凄い」と口
々に叫びながら父親にまとわり付いていった。

風呂を進められたのでホコリを流させてもらうことにした。
風呂上がりに途中で買って来たビールを飲むことに・・・・・・

私はビールが好きで春夏秋冬ビールで始まる.中島君も大のビール
党。さっそく耳慣れた軽快な音がして王冠がテーブルの上に落ち
る音がする。注がれる泡の音もいい。一気に飲み干した”この春
のビール”は彼にとって最高の一杯になっただろう。

早春の宵はひえる。妻君がストーブに火を入れながら「今日は鍋
でいい?」とたずねてくるのを、「いいねェ、いいねぇ」と大賛
成。2、3分すると大きな鍋を抱えて来てストーブにのせた。軽
そうなので「水、入ってるの?」と聞きながらふたを取ると白菜
のくきが多少はいっている。「大丈夫なの?こんなの見たこと無
いよ」というと、
妻君は「大丈夫、白菜から水が出るから」という答えが帰って来
た。私が幾らいっても水はいらないという。あまり頑固なのであ
きらめ中島君とビールを飲みながら待つことにする。N君も不安
そうに土なべのほうを見ている。子供達はお腹がが空いたのだろ
う。「おかーさん、まだー」と催促している。

私と、中島君は昼間の釣りの話に花を咲かせていた。その時、長
女の朋ちゃんが「おかーさん、なんかこげ臭いよーォ」と言い出
た。そう言われれば確かに何かがこげる匂いがする。土なべのふ
たを開けると白菜が3分の1ほど黒くこげている。「水、みず、
おかーさん」 妻君が土なべを台所へ抱えて行きコンロにのせて
やかんの水を注ぐ。次に豆腐、ねぎなど材料を入れ始めた。わた
しは一瞬だじょうぶかなと不安になったが、他家の料理に口出し
するのはと思い遠慮した。妻君は材料をさらに次々と入れる。私
の不安は増すばかりだ。数分後その鍋はテーブルの真中に置かれ
「さあー、どうぞ」子供達にも「あなた達もおあがりなさい。」
と声お掛けながら土なべのふたを取た。私と中島君はまだ、乾き
ものでビールをのんでおり、子供達は取り皿に鍋から具を取り入
れている。お姉さんの朋ちゃんは弟のもよそってあげながらにこ
にこしている。二人は食べ始めたがなんだかとても静だった。4、
5分して朋ちゃんが「おかーさん、なんかやっぱりへーん」と言
い出した。私が、小鉢で味見をしようと鍋にお玉を入れると小さ
な黒いものがいっぱい浮いている。炭になった白菜だ。焦げ臭く
て食べられない。何と乱暴な料理なこと。

子供二人は、4、5分間とは言え、我慢して食べていたのだ。こ
の子ども達のけなげさは、母親のしつけか?日頃の横暴がそうさ
せたのか。

私は「これじゃ可哀想だよ」と誰にゆうでもない振りをして台所
に行き、鍋の中身を捨てた。「もう一度作りなおすよ。」と言い
ながら私は土なべを洗った。ふっちゃんが「おじちゃん作れの?」
と心配そうに声をかけてきた。

再度、土なべがテーブルの真中に置かれ、30分と全く変わらな
い光景である。ただ、なべのふたを取るのは中島君の妻君ではな
く私だった。「はい、どうぞ」。

何ごとも無かったように子供達は再度食べ始めた。
朋ちゃんが「やっぱり、おじちゃんが作ったのはおいしいねェ」
というとふっちゃんが「おいしい、おいしい」と頭を前後に振り
ながら答えた。妻君は無口になってしまったが、それをよそに中
島君とわたしはビールの飲みなおしだ。

5人でなべをつついていると一回目は捨ててしまったので材料が
だんだん足りなくなって来た。妻君もそこに気が付いたのか、台
所からボールにごはんを入れて来た。中島君が「なにするの?」
と聞くと細君はつっけんどに「だまっこもち」。先ほどの子供達
の会話がおおひいているのだろう。私と中島君には”だまっこも
ち”という物がどうゆう物なのか、その時はまったく知らなかっ
た。話を聞くと 妻君 は秋田出身で秋田の郷土料理のひとつで”
きりたんぽ”の丸いようなものだと言う。ボールの中のご飯をす
りこぎでつぶし、かなりつぶしたところで手を濡らしながら小さ
なだんごを作る。子供達も楽し気に手伝っている。やがて小さな
おだんごが30個ほどお皿の上に出来上がった。「さぁー」と細
君がいいながらひざまずき鍋に次々にそれを入れふたをした。
「ちょっと立てば大丈夫よ。」

やがて中島君がころ合いを見て「よーし」とかけ声と共にふたを
開けた。一斉に5人の10個の目が鍋を見つめる。一瞬、沈黙が
流れた。何と中身は”茶色のどろどろのノリ”のような物になっ
ていた。5人ともズ−ッと丸いおもちのようなものを「フーフー」
いいながら頬張ることを思い描いていたのに。何とゆうていたら
く。またも、5人の間に沈黙の時間が流れる。

妻君の「ああーっ」とゆうため息がだけが1つ春の宵に消えて行
った。そんなある年の春の一日でした。


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