No.11(夏のかげろう )



わたしは、都会の喧騒に飽き久しぶりに田舎に帰った。それでも
2、3日が過ぎると多少時間を持て余しぎみになり、午後から散
歩に出掛けることにした。

「子どもの頃遊んだあたりはどうなっているのだろうか。」ふと
そんな思いがし、ぶらぶらと八幡神社のほうへ行ってみる。昔、
広い境内は子どものいい遊び場だったのだが、今は子どもの姿は
見えない。神社の裏の長い石段に差しかかると、うっそうと茂っ
た椎木の大木の隙間から蝉時雨が聞こえて来る。そこを過ぎ、稲
田のあぜ道を暑さもありゆっくりと歩いて行く。

遠くに少年が一人歩いているのが見える。その少年は、たぶん小
学校の4、5年生ぐらいだろう。水田の中のあぜ道を緑色にゆれ
る稲穂から上半身を出し北の方角に歩いている。手には竹製のつ
なぎ竿と竹で編まれた魚籠を持ち。

空はいつ降り出してもおかしくない様相に変わって来た。

たぶん少年が、川に行くのであろうことは手にしているものから
容易に想像がついた。しばらく歩くと道からそれ葦の中の踏みあ
とに添って川に下りて行った。上流に向かい、また5分ほど歩く
と古い護岸跡に出た。そこは、わたしが幼い頃よく一人で釣りに
来たところだった。今も、川底に大きな石があり水深も昔のまま
たっぷりと流れている。そんな流れが30メーターほど続く。私
にとっては懐かしい流れである。

彼は竹で作られた3本継ぎの竿をつなぎ白いカモメの羽のストー
クに黒い目印が3つほどはいつた、長くすこしカーブしたフナ浮
子を付け、それからうつむき加減になりハリに餌を付けているよ
うだ。付け終わると立ち上がり葦が茂る対岸よりに、それを振り
込む。浮子がゆっくり立ち上がり、左右にゆれながら流れてゆく。

流れる浮子に、雨がポッポッ落ちて来た。と同時に浮子が大きく
引き込まれる。竿があげられたが・・・・・

何度も竿は上げられるが、なかなか釣れないらしい。餌をポケッ
トからそのつど少しづつ取り出しては針に付けているが、濡れた
指先では練り餌さは付けずらそうだ。それでも、雨に濡れながら
少年は浮子を凝視している。

ようやく竿が大きく曲りナイロン糸が横に水を切る。形のいい何
かが掛かったようだ。彼の顔は緊張ぎみだ。それでも竿を満月に
たわめていっきに抜き上げた。大きなハヤだ。その胴体を握り無
言のまま満足そうにながめている。すこし微笑んでいるようにも
見える。

はやを竹で編まれて魚篭の中にするりと入れ川の中に浸けた。

雨は徐々に強くなって来たが、少年まったく気にしている様子は
見えず。再び釣りはじめた。1時間ほどでさらに2匹釣り上げた。

ずぶぬれのまま竿をたたみ始めた。多分帰るつもりだろう。夏と
はいえ、篠突く雨に濡れて体が冷えてしまったようだ。緑の稲田
の中を少し早足で小学校のある方に向かって歩き出した。15分
ほど歩くと坂の途中に同じような様式の住宅が15、6軒建って
いる。角から2件目の家の裏口へ少年は回った。ちょうどそのと
きドアが開き中年の男性が出て来た。少年は竹の魚篭を差し出し
中を誇らし気に見せている。しかし、中年の男性は何か少年を叱
っているように見える。雨音と距離があるせいか話しの内容は聞
き取れない。その男性はすぐにドアの中に消えた。

少年は竿と魚篭を軒下に入れ水道に行き泥だらけの足を洗い始め
た。後ろ姿にさみしさがにじんで見える。足を荒い終わり濡れた
ままで家の中に消えて行った。

わたしも、七月の雨に濡れながら、帰ることにした。

再び、神社の裏の石段に向かう。階段をのぼると椎木の大木の枝
葉が雨をため、巨大な雨粒に変身させ「ぼたぼた」と大きな音を
たてながら落ちてくる。体に降ると痛いほどだ。

わたしは、祖母の家に着き、裏口から入り風呂場へ行き濡れた衣
服を脱ぎ、ゆうべの残り湯の生温い暗い湯舟につかった。なんと
も言えない生温さだが妙に落ち着く。母親の羊水の中もこんな感
じだったのかも知れない。

わたしは、風呂から上がり叔父の部屋に行っ見る。が出かけてい
るようだ。失敬して本箱をのぞき下のほうから、ほこりを払いな
がら文庫本を1册取り上げた。井伏鱒二の「川釣り」だ。以前に
も1度読んだことがあが、それを持って縁側に行く。相変わらず
雨は降り続けている。そばに在った座ぶとんを二つ折りにして枕
にし「川釣り」を読みはじめる。

この「川釣り」は私の好きな釣りの本の中の1册で、何よりも著
者の釣りは競うことがなく、おごらずにたのしむところが好きだ。
読んでいると行間から人柄の穏やかさが滲んで来る。晩年は確か
荻窪あたりにお住まいでごひいきの飲屋さんが近くに在ったと記
憶している。あまり定かではないが・・・・・・・・・

30ページを越えた天城の話し、「ワサビ盗人」あたりで眠くな
って来た。「少し昼寝をしよう」と本を頭上に置くと、中庭の木
々の葉にあたる雨音がだんだんと遠くになってゆく。

「あの少年は今頃どうしているのだろうか。」つい気になってし
まった。

かすかに開けられた窓から雨で冷やされた空気が流れて来るの
を心地よく肌に感じながら眠りに落ちて行く。

「明日は、あすこに釣りにいってみようか」 ・・・・・・・


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