No.10(秋空)




私はカメラや双眼鏡などを入れたバックを持ち、樹木で陽に閉ざされ、
湿気をおびた腐葉土が覆った急斜面を降りていった。

川原に降り立ち、紅葉の谷峡から空を見上げると限り無く青い。風はか
すかに秋風の冷たさを含んでおり、それがより空の色の清々しさを増し
ている。

まず、双眼鏡を取り出し下流から上流をゆっくり覗いて見る。水面は微
かに青みを帯びて光る。しかし、水中までは見透かすことは出来ない。
もう少し近寄り覗く角度を変えなくては逆光で無理のようだ。

私は淵、溜り、落込み見ながら上がって行く。どこかで岩魚か山女魚の
産卵に会う為に、一場所、一場所、調査でもするように注意深く。
歩いて行くうち、前方に大石が見えて来る。下流側からよじ登って大石
の上流をみると25センチほどの山女魚が居る。1匹で居る所を見ると
ペアリングの相手はいないらしい。背面は黒くサビが出ている。腹部は
白く盛夏のままである。サイズから見るとまだ2年魚のようだ。今秋は
相手が居ない寂しい年を越す山女魚だろう。深淵の駆け上がりあたりで
上下に揺れている。時折、紅葉した葉が上流から流れて来ると軽く反応
し、ゆっくり水面近くまで上がって来るがすぐにまた、沈んでしまう。

私は、須弥壇のような大石の上にあぐらをかき、バックからコーヒーポ
ットとカメラ を取り出す。それと双眼鏡を脇に、いつでも好きな時取れ
るように並べる。

まずは、コーヒーを。
コーヒーを呑みながら、空いた片手で双眼鏡を握り覗くと山女魚の顎が
息づくように上下し、口中の小さく鋭い歯が1本、1本、鮮明に見える
秋の午後の陽を受けながらのんびり眺めていると、久しぶりにかすかに
感動を憶えた。双眼鏡をカメラに持ち替えレンズを200mmの望遠に
取り替え腹ばいになり5回ほどシャッターを切った。そのままファイン
ダーから山女魚を見続ける。錆びてはいるが体側は婚姻を待つピンク色
を十分残していが、今年はこのまま終わってしまうのだろうか?

しばしして座りなおし、コーヒーをもう一杯。

再び上流に向かう。

川は少し開け平らになる。時折、色付いた落葉がこぼれ、川の流れに連
れ去られて行く。そんな情景の中を上って行くと10畳ほどのプールで
岩魚がペアリングをしているのを見つけた。
魚体には黒くサビが出ている。しかし、大きい、2匹とも30センチは
優に越えている。雌の方がひとまわり大きいだろう。
直径50センチほどの円を描きながらゆっくり回り、時折離れ、また、
ゆっくり回る。それの繰り返しが続く。それが終わると、白い砂利の上
で数回縺れ合ったように見えた。その後、雄は下流に、雌は斜左上流に
ゆっくりと去って行った。
私は、カメラに収めるのも忘れ、唖然とし見とれてしまった。

腰を降ろし一息つき、落ち着いて産卵床の辺りに眼をやると川底の白い
砂利が、そこだけより白く見える所がある。直径3、40センチほど。
間違い無く産卵が完了した証拠だ。

私は受精卵を見たくなり、ゆっくり産卵床に近づき両手で白い砂利をす
くった。顔を近付けて見ると砂利に混じって淡い色の受精卵が見える。
陽に照らされ琥珀色にキラキラ輝く。

カメラに取ろうと思ったが産卵床を荒らし過ぎてはと思いあきらめよう
と思った。
受精卵はかなり強く、潰れるということは無いのだが・・・
「やっぱり1人でシャッターを切るのは無理だろう。」強引にそう思う
い、やめることにした。

裸足で川に入ったので岩に上がり手足を拭くと寒さを感じる。 秋の陽も
傾き空は薄い紫色に変わり輝く。背中に初冬を隠し持った 秋風が紅葉し
た樹木の隙間から冷たく流れだし私の体温をさらって行く。

「そろそろ上がろう。」

足場の良さそうな所を見つけながら下流に向かう。この辺りは左側に上
がれば「けもの道」があることは以前から知っている。そこまで出ると
楽になる。

バッグを背に回し、闇が迫る急斜面を登り始めた。枯葉で足を滑らせな
いようにゆっくり、ゆっくり上がって行く。丁度、川と「けもの道」の
中間あたりまで来た時、「ド−ン」という地響きがし熊笹が音を立てて
揺れた。私は恐怖で心臓が高鳴った。あわてて音のする方を振り向と、
白いバックテールを見せながら鹿が逃げて行く。
この辺りは熊も時々でるので 鹿だと言うことで反って「ホッ」した。
すっかりひ汗を掻いたが鹿の方がもっと驚いたようだった。
なぜなら彼(鹿)は右前足を大きく踏み外し前につんのめり、転んでまっ
たからだ。

安堵し ,歩きながら先ほどの、私と彼(鹿)の狼狽ぶりを思うと滑稽で、
ついつい声をだして笑ってしまった

車まで戻り、杉樹立の中から天を仰ぐと濃い紫色の空に大きな星が赤く
輝いている。 「多分あれは・・・・・・・・・・・・」

今夜は、秋冷え。日本酒を軽く燗して、炭火で焼いた秋刀魚に赤い紅葉
と、大根おろしを添える。秋の夜の酒はゆっくり呑みたい。後に、栗お
こわに、なめこの赤だし ,京漬け物がいい。

夕食後は風呂に入り、寝る前には香を炊こう。

「こんな夢を見るのは勝手で、思うだけならただで自由だ!」



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